連載・鳴子の旅(1) 安濃津よさこい(三重県・津市)苦難乗り越えた津まつりと共存


三重県の県庁所在地津市には、江戸時代から続く「津まつり」と呼ばれる祭りがある。その津まつりの中で、伝統芸能と競演する格好で「安濃津(あのつ)よさこい」という、よさこいが開催されている  

1635(寛永12)年から400年近い歴史のある祭りと、よさこいが共存する全国でもまれなケース。高知のよさこいと札幌のYOSAKOIソーランのチームをそれぞれゲストとして招いて始まったこともあって、南北のスタイルが違うよさこいチームがそろう、よさこい系イベントだ。 

 安濃津よさこいは1998(平成10)年に若手経営者らでつくる津青年会議所の企画としてスタートした。1990年代後半と言えば、1992(平成4)年、よさこい祭りの自由でエネルギッシュな演舞感動した北海道の学生により、YOSAKOIソーラン祭りが誕生地域活性化の成功事例として高い評価を受けるなか、バブル景気崩壊後に地域をイベントで元気にしたいという思いを受け、名古屋、仙台、佐世保といった地域で、大規模なよさこい系イベントが生まれていった時期だ。 

 一方、津まつりは、津八幡宮行列の出し物として伝わる「唐人踊り」「しゃご馬」「八幡獅子舞」といった旧城下町の郷土芸能が目玉で、安濃津よさこいが登場するまでは一般の市民が広く主役として参加できるというよりは、多くの人が見る側にまわる観賞型祭りだった。 


 それが、安濃津よさこいの誕生をきっかけに地元大学生、幼稚園、子ども会、学童保育、高校生、健康体操などの郊外で暮らす人たちで結成したよさこいチームができ、安濃津よさこいの参加団体は60チームを超えて3000人以上が踊りに加わるようになった特に、津市役所そばの野外特設ステージで行われる、安濃津よさこいのファイナルは、三重テレビで生中継をされるほどの人気だ。 

 安濃津よさこいが生まれた当時は、「なぜ、津まつりで高知のよさこいをやるのか」「よさこいは別の日程でやればいいではないか」といった議論もあったが、徐々に津まつりを一緒に支えるものとして安濃津よさこいの認知が進んだ。 

 いつもなら、津八幡宮での津まつりが始まる朝の奉納行事では、緑におおわれた境内で伝統芸能団体にまじって安濃津よさこいのメンバーが並ぶ光景を目にすることができるはずだった…。 

 ところが、今年は101011の両日に開催予定だった津まつり・安濃津よさこいは新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、58日に中止が決まった。 

 長い津まつりの歴史のなかでは明治初年、第2次世界大戦時、昭和天皇のご病気時といくつかの中断時期があった。特に、1945(昭和20)年7月の空襲では津の市街地が被害にあったため、祭りの山車などの道具類が焼失してしまい、津まつりで江戸時代から続き、朝鮮通信使行列の物まねに起源をも唐人踊りも1956(昭和31)年の復活まで10年以上の歳月が必要だった。 

 コロナ禍のなかよさこい系のイベントは次々と中止となっ 

 20年余りの歴史を刻んできた安濃津よさこいにとっても初めての中止だ。安濃津よさこいのために仕立てたあの赤い地方車どうしているだろうふと、気にかかる 

 多くのよさこいチームが練習もままならず苦境に立っているが、津まつりが苦難の時期を乗り越えて発展してきたように、再び絆をつなぐ鳴子の元気な響きが、各地で聞こえてくるときがくるのを願いたい。 

(川竹 大輔)