「鳴子踊りの誕生」

高知の城下に「ヨッチョレ、ヨッチョレ…」のリズムが誕生して20年になる。よさこい鳴子踊りの生みの親としては、我が子の成長はうれしいものである。 

 昭和29年のこと、高知商工会議所観光部会の濱口八郎さんが「—実は、市民の健康祈願祭に、なにか踊りのようなものをやりたいのだが、民衆にヒットするようなものを考えてみてほしい」との訪問をうけたのが、梅雨も明けた6月25日である。 

 「祭りは8月10、11日と決まったので、7月1日から練習を始めんと間に合わん。ひとつ隣りの阿波踊りに負けんようなものを、歌詞も曲もいっさいおまさんが考えとおせ」 

 わずか5日間でつくりあげろというまことにムチャな話であったが、私は、よさこい祭りの出し物となる曲と、歌詞と、踊りをつくるという大役をおおせつかったのであった。 

 その晩から、さっそく制作に取りかかった。伝統ある阿波踊りに対抗するには素手ではだめだ…、思い付いたのが鳴子。「年にお米が二度とれる土佐において、何かやると言えば、鳴子は最高の圧巻だ。これなら阿波踊りに対抗できる」。 

 次はリズムである。鳴子を手にしばらく振ってみた。阿波踊りは単純なデモンストレーションにすぎない。それなら、こちらはメーデーのジグザク行進でいこう。ジグザグ行進に鳴子を入れるにはどうすればよいか。考えられるのは行進の時に直線に打つことと、曲線的にまわすことの組み合わせであった。 

 歌詞の着想は、当時、研究を進めていた「土佐わらべ歌」に「高知の城下へ来てみたら、じんまもばんばも、みな年寄り」という文句があった。また「郵便さん走りゃんせ」の中に「いだてん飛脚だ、ヨッチョレヨ」というのがある。私は、このヨッチョレの言葉が楽しくてたまらない。また、よさこい祭りというからには、昔から伝わる「よさこい節」も入れた方がよいだろう。以前に私の作った歌に「ヨイヤサノサノ…」という“ハヤシ”があった。これも使ったら…。 

 よさこい鳴子踊りの曲と歌詞は、このように、つまりはデッチあげであって、作詞でも作曲でもない。 

 第1回のよさこい祭りが開かれた後で、いろいろな人たちから「なんでこんな下品な歌を作ったのか」という批判が出た。私は「歌詞はどう変えてもらってもケッコウ」と、柳に風と聞き流したことだったが、目あき千人、うろ千人のたとえ通り、支援者も多く、その時の一節が今も続いている。 

 郷土芸能は民衆の心の躍動である。誰の誰べえが作ったかわからないものが、忘れられたり、まちがったりしながら、しだいに角がとれシンプル化していくものである。要は、民衆の心の中に受け入れられるかどうかが問題で、よさこい鳴子踊りにしても、時代や人によって変わってきたし、これからもどんなに変わっていってもかまわないと思っている。 

作曲家 武政英策 
よさこい祭り20年史(よさこい祭振興会)より