宗安寺の旧山荘で辿る「武政英策物語」 ~甥・森田繁広さんに聞く~(前編)

▶初対面は結婚の挨拶…おじちゃんには高知の気風がぴったり!

―森田さんの奥様(広子さん)の叔母様が、武政さんの奥様の故春子さんだとお聞きしたんですが、武政さんに、はじめてお会いされた時のことを教えてください。

結婚の挨拶の時ですね。私が23歳の時で、おじちゃん(武政さん)が60代半ばぐらい?だったと思います。その当時、今いるとこのちょっと下にも、家があったんですよ。そこに、おじちゃんとおばちゃん(春子さん)が住んでいて、女房と二人で、挨拶しにきたのが最初でした。 


(夫婦睦まじく…武政英策さんと妻の春子さん)

―それがはじめての対面だったんですね!どんな雰囲気でした?

おばちゃんが懐石料理を出してくれましてねー。私はスーツ、女房は着物を着ていました。たしか、7月のはじめごろだったのかな。おじちゃんは甚平みたいな普段着でした。おばちゃんは、着物で出迎えてくれましたね。うんと、着物が好きやったから。3時間くらい、いたのかな。おじちゃんも、私も、初対面じゃないですか、だからあんまり話すことが見つからなくて…。もっぱら女房が、おじやおばと話してくれていましたね。

―奥様の広子さんは、武政さんご夫婦と日ごろから仲が良かったんですか?

女房の姉が20数年前に亡くなったんですけど、小さいころから、姉妹二人でよくここへ遊びに来ていたようですよ。おじちゃんとおばちゃんには子どもがおりませんでしょ。だからとても可愛がってくれていたようです。おじちゃんは曲作りの時なんかは、ここ(宗安寺)におったようですけど、それ以外は、(高知市の)大橋通りに事務所にいて、そこから夜は飲み屋に繰り出すーそんな感じだったようです。 
 

―大橋通りに武政さんの音楽事務所があったんですね!

今はもうないですけど、大橋通りの信号の南側、ちょっと東くらいのところにありましたね。私自身はあんまりお町(市街地)に行かんき、今何になってるか分かりませんけど。 とにかく、飲むことが好きなおじちゃんやったんで、ほとんど大橋通りの事務所にいて、夜は、仲が良かった、濱口八郎さんがやってた料亭・濱長さんであったり、いろいろ、街に飲みに行ったりと、そんな、根っからの「土佐人」のような生活をしていたみたいですからね。



ほら、この写真、濱口さん(前列左から2番目)とメガネかけた武政のおじちゃん(後列左から8番目)一緒に写ってるでしょ。

―よさこいの生みの親の武政さんと濱口さん、お二人が一緒に…。あまり残っていない珍しい写真ですね。武政さんって、愛媛出身なんですよね。武政さんの自伝「歌ありてこそ」拝見しましたけど、おおらかな性格で、ずっと高知の方かと思っていました。


そうなんですよ。愛媛の大洲市。大阪におって、最初の奥さんの関係(死別)で高知へ来たらしいけど、ほんとに土佐人の気風に似ているというか、土佐の風土がおじちゃんと合ったような感じやね。おじちゃんはお酒を飲むのも好きやけど、楽しいことをするのが好きで、たとえば、優雅にお酒を飲んだり、ちょっとお金を使って贅沢したり、奢ったり。そんな感じやから、高知の気質にすごくあったんだと思います。曲作りも、高知の方が合ったんじゃないでしょうかね。