「よさこい節」に見られる黒潮との濃密な関係
〈箸拳(はしけん)〉に似た遊びは鹿児島や宮古島にもあり、《カツオのばらぬき歌》や《よさこい節》なども黒潮の道の各地にあります。高知県四万十川流域の〈棒打ち・棒術〉も沖縄をはじめ共通点が見られます。
さらに琉球音階(ドミファソシド。下降ではレがつくことも)に似た音階も、インドネシアにペロッグ音階として存在しています。それに加えて注目されるのが、《ハイヤ節》に見られる情熱・自由・乱舞の踊りです。
黒潮の道は、土佐が南西諸島、そして本州太平洋沿岸の民と交流することを可能としていました。 《よさこい鳴子踊り》の後半に登場する《よさこい節》にも、黒潮との濃密な関連が歌われています。
ゆうたちいかんちあ おらんくの池にや
潮ふく魚が泳ぎよる ハーヨサコイヨサコイ
土佐はよいとこ(国) 南をうけて
薩摩あらしがそよそよと
以前は台風が襲来すると、高知は陸の孤島と化し、四国山地越えの国道、空路、国鉄(現JR)土讃線そして海上航路は完全に機能を停止しました。背中に四国山地を配し、南の太平洋に向かっていたことで、自然と海との関わりを強めていきました。海との関わりは、少年時代によく歌っていたわらべうたにも反映していました。
お月さん桃色 誰が言(ゆ)うた 海女が言(ゆ)うた
海女の口を 引ーき裂け(引っしゃくれ)
土佐藩は珍重された桃色珊瑚を、お月さんに言い換えて幕府からの目を逃れようとし、海女に緘口令をしいていましたが、その時の歌詞にも豊かな南国の富が歌われていました。
黒潮の流れについて、大林太良氏は『海の道 海の民』の中で興味ある論を展開しています。日本列島の沖を黒潮が南から北に流れ、熱帯太平洋の北緯10度付近、つまりミクロネシアのなかを通過した北赤道海流は、フィリピンのルソン島東岸で黒潮となって方向を北に転じ、バシー海峡を通って台湾東岸沿いに、つづいて琉球列島の西岸沿いに北進し、奄美大島の北西で対馬暖流が分かれ出たあと、本流は日本本土の東岸を北東に進み、北太平洋からさらにアメリカ大陸にも及んでいくと論じています。(註5)
(『海の道 海の民』より)
黒潮との関連はさまざまなところに見出される。カツオに関する類似性も興味をひくものが多い。カツオ節は、土佐から薩摩に出稼ぎに行った民が伝えたことであることは良く知られていますが、この製造技術は遠くインド洋にまで続く。また《よさこい節》も、《鹿児島よさこい節》があり、近世歌謡・近世邦楽調の歌として土佐と薩摩を結んでいます。
夜サ来い夜サ来いとは 誰が言たことか
十八嫁女が 言たことじゃ (註6)
註5 大林太良『海の道 海の民』小学館 1997年
註6 日本放送協会編『復刻日本民謡大観九州篇(南部)・北海道篇』日本放送出版協会 1994年