▶毎日が賑やかに 五流派の先生とよさこいの振付け制作の日々
―よさこいの誕生を傍で見てこられたんですね!ちなみに、踊りをつくるにあたって、五流派の先生方に声をかけられたのは、何か理由があったんですか?
私自身が若柳流で踊りを習っていたことや、若柳の先生と父との縁もあり、濱長としては若柳の先生方と一番ご縁があったんですけど、父が「つくるにあたって、どこか一つというのはいかん」と。だから、高知にいる流派の先生方全員を集めようということになり、五流派の花柳・若柳・藤間・坂東・山村の先生方にお声をかけたらしいです。五流派の先生方が1カ所に集まったから、それぞれみんな振り付けも違うし、雰囲気も違うし、あっちでこう言ったりといろいろで、とっても賑やかでしたよ。
毎年正月には、濱長の大広間には土佐のお座敷文化を支える日本舞踊の師匠や艶やかな芸妓さんらが勢ぞろい(正面が故濱口八郎さん、前列左から2人目が次女の賀世さん)
―それは、濱長で制作されていたんですよね?
そうです。2部屋をぶち抜いた大広間に集まって、立ったり座ったり。師匠の方々ばかりなんで、完成したところまで振りの確認をしたいじゃないですか。だから私たち姉妹が先生たちのところへ呼ばれて、「ここから踊ってみてー」みたいな。で、「ここは、こうしたほうがいいねー、やっぱり、もんた方が(戻った方が)いいねー」とか話をして決めていました。で、父が「もんても(戻っても)いいけんど、わしは練り歩きたいき、前へ前へ行ってもらいたいけんど、けどまあみんなプロがそういうやったら、プロに任さないかん」って母に言っているのを聞きましたね。
40代の濱口八郎さん。厄抜けも濱長の大広間で
―ちなみに、振り付けの話し合いはどれぐらいされていたんですか?
さっさと決まりましたよ。みんな師匠方だったので。
旧濱長の玄関。
政財界の要人、歌舞音曲の師匠、多くの市民が出入りした
(聞き手=芳村百里香)