パフォーミング・アーツとしてのよさこい祭り

1954年に誕生したよさこい祭りは、2003年に半世紀を通過し、2019年には66回を達成しました。2020年はコロナ・ウイルスで残念ながら中止を余儀なくされたが祭りは厳然と伝承・創造を重ねてきています。祭りとはそもそも地域住民のハレの日のパフォーマンスでした。

よさこい祭りは、戦後の不況克服策として開催されました。この祭りには高知県人の新奇性、進取の気性、自由性、開放性が如実に表れているばかりではなく、その根底には高知のアイデンティティが色濃く内包されています。そしてこの祭りは現代の民俗芸能です。踊り、衣装、地方車(じかたしゃ)によるパレードは、現代版練り風流であり、PA(Public address)、 生バンド、歌手を積み込み、司令塔としての役割を果たす地方車は現代版〈だんじり〉であり、乱舞・群舞は、1年に1度巡ってくるハレの日の解放感と奔放なパフォーマンスです。そして民謡《よさこい節》を内包した《よさこい鳴子踊り》と鳴子は新しい祭りを創造させました。


(高知市の愛宕商店街にて=筆者撮影)

よさこい祭りを単なるイベントと捉えるのは正しくありません。それはよさこい祭りを構成している地域住民の、よさこい祭りに寄せる熱き思いに見出すことができます。近年は、クラブチームが祭りの主流を占めているように見えますが、祭りを支え、継承・発展させてきたのは地元商店街や町内会チームであり、地元に根付いたさまざまな特徴をもつチームです。祭りが近づくとまず、地域では寄付集めが開始され、その時期に祭りの到来を地域住民は悟ります。

そしてその年の音楽・衣装・振付・地方車の考案に入ります。毎年テーマを決め、そのテーマに基づいた踊りを完成させるというダイナミズムは、並大抵のものではないでしょう。創造性が発揮され、チームの特徴がそこに表出されます。地域商店街や町内会チームは、毎年出陣式の前に地元の病院を慰問し、入院患者に踊りを披露しています。

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