始まりの物語
高知で毎年8月に開かれるよさこい祭り。そこで披露される踊りを「よさこい鳴子踊り」と言います。よさこい祭りは、生みの親とされる作曲家・武政英策さんが作った、よさこい鳴子踊りという曲の一節を入れること、鳴子を持って前進しながら踊ること、一般的にはそれらがルールとされています。それ以外は衣装や踊りなど参加する踊り子やチームの皆さんが創意工夫し、高知市内の街頭を練り歩く(流し踊りを中心とする)自由で多様なお祭りです。
1945年(昭和20年)の高知大空襲で一面焼け野原となった街の復興を図り、隣県徳島の阿波おどりに負けないものをと、1954年(昭和29年)8月、発足したばかりのよさこい祭振興会が開催しました。
第1回目のよさこい祭りは、合成酒のただ呑み大会や高知県内の伝統芸能と競演するかたちで、市内7カ所の特設会場で披露されました。初回のよさこい鳴子踊りは、21団体750人の踊り子が参加するにとどまりました。
この頃はまだ目新しい踊りのひとつにしかすぎませんでしたが、後に誰もが参加できる「市民の祭り」として定着。踊り子らの自己表現の場、多くの若者らを魅了するエネルギッシュな祭りとして、そのかたちを変えながら全国・海外へと広がっていきます。
2人の生みの親
そもそも「よさこい鳴子踊りは、当時の日本舞踊の師匠らが街頭で披露するためにつくったとされます。その踊りの背景となったのは、「土佐のお座敷文化」と呼ばれるものです。
お座敷文化は幕末から明治期以降、土佐の地で広がった料亭・芸妓・芸事を教える師匠からなる花柳(かりゅう)界を舞台に酒の好きな県民性も手伝い、すそ野を広げてきました。
そうした中、よさこい祭りは産声をあげ、鳴子踊りの振付は日本舞踊五流派(花柳・若柳・藤間・坂東・山村)の師匠らが担当。土佐の民謡である≪よさこい節≫を取り入れ、お座敷などで歌い踊られていた「よさこい踊り」(鳴子を持たない手踊り)をベースに、後のよさこい祭りの主催団体となる高知商工会議所観光部会所属の濱口八郎さん(料亭濱長の主人)が軸となり、知人で盟友だった県内全域のわらべ歌を採譜していた武政英策さんが新たに曲を手掛ける格好で新しい祭りの骨格をつくられていきました。
◇ ◇
始まりの物語では、よさこい祭りの原点となった「お座敷文化→よさこい踊り→よさこい鳴子踊りの誕生」までの流れを、生みの親である料亭の主人と作曲家の交流やエピソードなどを交えながら、時代の息吹を吸収し様々な変化を受け入れる、これほどまでに自由な祭りが、なぜ土佐の地から生まれたのか、その根幹を解きほぐしていきます。
〜始まりの物語〜
002 「鳴子踊りの誕生 -よさこい祭り20年史の寄稿文(1) 武政英策氏-」
003 「踊りと共に20年 -よさこい祭り20年史の寄稿文(2) 濱口八郎氏-」
005 「よさこい祭り20年史」から読み解くルーツ② ~ 流し踊り、地方車のルーツは「花台」? ~
006 「よさこい祭り20年史」から読み解くルーツ③ ~ 空襲、南海地震…相次ぐ災難 祭りのルーツに「復興」の2文字 ~
007 「よさこい祭り20年史」から読み解くルーツ④ ~ 廃虚から立ち上がるエネルギー、祭り生み出す原動力に ~
008 「よさこい祭り20年史」から読み解くルーツ⑤ ~ 第1回のよさこい祭りは、郷土芸能との競演に… ~